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富山地方裁判所 昭和35年(わ)85号 判決 1961年10月05日

被告人 米屋喜一

明四三・五・一八生 会社役員

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実の要旨)

被告人はゴム靴、運動靴等の製造並びに販売を業とする北星ゴム工業株式会社の専務取締役で、同会社の経営を担当している者であるが、畠山昌仁と共謀のうえ、昭和三三年七月五日頃から同月一八日頃までの間にわたり、黒部市生地山新二三〇番地所在の同会社工場において、小川雅幸が登録意匠第一二五八八八号の類似一号をもつて意匠権を有する防雪用ゴム長靴と類似の防雪用ゴム長靴一八三三足を業として製造し、同月二一日頃これを金沢市田丸町一五番地所在株式会社北一ゴム商会に対し価格合計金八〇万四六八七円で販売したものである。

(当裁判所の認定並に判断)

一、被告人の本件防雪用ゴム長靴の受註と製造販売のいきさつ

証人前田清太郎、同池田定雄、同柚木重徳、同畠山昌仁、同新出寅之助の各証言、世界長北陸販売株式会社外四名の作成名義に係る領収証及び金沢郵政局作成名義のゴム長ぐつ等の購入指名競争入札についてと題する書面の各写、被告人の当公判廷における供述並びに被告人の検察官に対する各供述調書を綜合するとつぎの事実を認めることができる。

被告人は北星ゴム工業株式会社(以下単に北星ゴムという。)の専務取締役であつて同社の経営一切を担当しているものであるところ、昭和三三年六月二〇日金沢市鳴和町所在の金沢郵政局において同局が使用する防雪用ゴム長靴一八三三足その他のゴム靴について指名競争入札が行われ、右入札には北星ゴム、株式会社北一ゴム商会(北星ゴムの石川県下における販売代理店、以下単に北一ゴムという。)、世界長北陸販売株式会社(世界長ゴム株式会社の石川県下における販売代理店、以下単に世界長という。)外四社が参加し北星ゴムからは畠山昌仁、北一ゴムからは柚木重徳、世界長からは前田長太郎がそれぞれ会社を代表して郵政局に出頭した。結局防雪用ゴム長靴については入札が不調となり、随意契約によつて北一ゴムが一足四三九円合計金八〇万四六八七円で受註することとなつたのであるが、この入札にあたつては郵政局側の係官池田定雄が各入札者に対し、見本として世界長ゴム株式会社(以下単に世界長ゴムという。)の製品である防雪用ゴム長靴(証第一号と同一のもの)を示して、「落札者は品質及び形状においてこれと同等若しくはそれ以上の品物を製造納付すべき」旨指示し、前記柚木重徳、畠山昌仁等が持参した北星ゴム製の防雪用ゴム長靴(証第三号と同一のもの)を見本として採用しなかつた。また前記随意契約締結の際、右柚木、畠山らは、世界長ゴム製の防雪用ゴム長靴について意匠登録の存在するかも知れないことを考慮し、これと同一のものを製作することの可否について係官に質問したところ、池田は「全く同一ではいけないが、ゴム(長靴の上部に接着する防雪用のゴム帯)の長さ大きさを変えれば差支えない。」旨の意見を述べた。随意契約の成立後、北一ゴムの柚木重徳は、入札に先立つて業者間に事前談合がなされていた関係上、北星ゴムを除いた他の入札業者に談合金を分配し、世界長の前田清太郎も談合金二万三一八〇円を異議なく受領した。この防雪用ゴム長靴は受註者である北一ゴムの註文によつて北星ゴムがその製造を引受けることになつたが、その際前記畠山は被告人に対し、右入札の事情、談合金の支払に関して逐一報告し、「世界長ゴム製の防雪用ゴム長靴と同一のものを製作しなければならないが、これに附着しているおそれのある意匠権その他の工業所有権については、世界長の前田清太郎が談合金を異議なく受領しているから解決済である」旨説明し、被告人もこれを了承して関西アルミ鋳造所に対し世界長ゴム製の防雪用ゴム長靴と殆ど同一の靴型を注文製作させたうえ、長靴上部の鉢巻部分の模様と防雪用ゴム帯の長さを多少異にする外、ほぼ同一形状の防雪用ゴム長靴(証第二号と同一形式のもの)一八三三足を同年七月五日頃から同月一八日頃までの間に黒部市生地山新二三〇番地所在の北星ゴム工場で製造し、これを注文先である北一ゴムに対し代金合計金八〇万四六八七円で販売した(もつとも右製品の引渡については運賃等の節約のため、同月二一日頃北一ゴム名義で直接金沢郵政局に発送して納入した)。

二、世界長ゴム製の防雪用ゴム長靴についての意匠権の存在と本件防雪用ゴム長靴の類似性

小川雅幸作成の告訴状(添付の意匠公報の写二通を含む)及び証人新出寅之助の証言を綜合すると、前記世界長ゴム製の防雪用長靴(証第一号と同一形式のもの)については昭和三二年六月二九日附をもつて登録番号一二五八八八号の類似一として意匠権者小川雅幸のため意匠登録がなされており、昭和三三年二月一八日以降その実施権者は世界長ゴムであつたことが認められ、右長靴と本件長靴(証第二号と同一形式のもの)とを領置にかかる証第一号及び証第二号の各ゴム長靴によつて対比すると、両者はゴム靴上部の鉢巻模様、その上に接着する防雪用ゴム帯の長さなどの細部において多少の差異はあるが、その全体の形状としては極めて類似していることが認められる。そうして右意匠公報に図示された登録の範囲によると、本件意匠権はゴム靴それ自体の模様のみならずこれに接着する防雪用ゴム帯との結合形態全体を意匠として登録したものであると解せざるを得ないし、また意匠の類似というのは、いやしくも、その製品の外観から判断して、一般消費者をして製品を彼此混同させる程度に似かよつていればたり、細部の模様や寸法に僅少な差異の存在することは、必ずしも意匠の類似たるを妨げるものでないと解すべきであるから、以上述べた諸点を綜合して考察すれば、結局本件長靴は叙上の意匠登録にかかる長靴と類似するものといわざるを得ない。(此の点に関する弁護人の「本件意匠登録の対象はゴム靴上端鉢巻様の部分及びその上部に取付けられた円錐輪状形のゴムの部分に存在する模様のみである」との主張は採用するを得ない。)

三、弁護人の意匠登録無効の主張について

弁護人は「仮に本件意匠登録がゴム長靴と上部の防雪用ゴム帯の結合した外観全体を意匠として登録したものとしても、その型状それ自体には何らの美感を伴わず、また右登録にかかる防雪用ゴム長靴は当時業界において公知公用のものであつたから、本件意匠登録は意匠法所定の要件を欠き、法律上無効のものである」旨主張するが、このような形式のゴム長靴が当時公知公用のものであつたと認めうるほどの証拠はないし、また靴の中に雪が入るのを防ぐため上部に円錐輪状形のゴム片を取りつけた長靴の外観には、何ら美感を生じさせる要素が存在しないと速断することもできない。仮にこのような形状の長靴が当時公知公用であつたとか、その他の理由から、法律上その登録を無効とされるような原因が存在する場合を想定しても、審決又は判決による無効処分の確定するまでは、当該官庁に依つて適法であると判断され、登録された意匠権は、一応権利として存在し、法の保護の対象となるのであるから、その無効処分の確定前に、みだりに右意匠権を侵害することは許されないと言うべきである。若しそのような解釈をとらず、私人が思い思いの判断によつて登録の無効を主張し、登録を無視することを許容するならば、意匠の排他的な権利を認めた登録制度の趣旨は全く没却されることとなるであろう。もつとも無効処分の確定によつて意匠権は遡及的に効力を失うから、意匠権侵害のかどにより刑罰に処せられた後、該登録に対する無効処分が確定した場合には、当該事案は再審に附せられるべきであること刑事訴訟法第四三五条第五号の定めるところであり、前記のような解釈を採用しても、被告人の保護に欠けるおそれはない。したがつて弁護人の右主張は採用できない。

四、被告人の犯意について

弁護人は「被告人は本件ゴム長靴の製造販売にあたつて、前記世界長ゴム製のゴム長靴について意匠登録がなされていることを知らなかつたから被告人には権利侵害の犯意はなかつたし、また入札の際世界長の代表者前田清太郎に対して談合金二万三一八〇円を支払つたことにより、類似製品の製造について承諾をえている」と主張するのでこの点について判断する。

被告人が当時意匠権の存在を知らなかつたという点については前第一項判示の経緯から考えると容易に右弁解を認容することはできない。しかしその点はさておき、同項において認定したところによつて、すでに明かであるとおり、世界長の代表者前田清太郎は、本件防雪用長靴の入札に参加した際、係官池田定雄の説明を聞き、呈示された見本を視認することによつて、郵政局の求める防雪用ゴム長靴は世界長ゴムの製品と同一又はこれと類似した形状をとらざるを得ない物件であることを十分に覚知した筈であり、従つて他の業者が落札した場合には、当然世界長ゴムの製品に附着する意匠権を侵害するかどうかと言う問題が発生するおそれがあることを十分知つていた筈である。しかるに同人が北一ゴムの受註に関して、何ら意匠権の主張もせずに、談合金二万三一八〇円を受領し、受註から手を引いている点より判断すれば、柚木重徳、畠山昌仁及び被告人の三名は、金沢郵政局の発註にかかる本件防雪用ゴム長靴に関する限り、世界長ゴム製の長靴と類似の製品を製造販売するについて権利者を代表する者から、黙示の承諾をえたものと考えたとしても、まことに無理からぬところであると考えられる。もつとも前記証人前田清太郎、同新出寅之助の各証言によると、右前田は世界長ゴム製品の販売のみを行う世界長の代表取締役であつて、本件意匠権の実施について承諾を与える権限はなかつたことは認められるが、世界長ゴムの製品を石川県下に於て一手に販売する権限を有する前田から承諾をえたことを以て、被告人らがこれを本件意匠権の実施権者である世界長ゴムの承諾と同視または混同したからと言つて、正確な法律上の知識を持たない人々の間に於ては、社会の常識に著しく反する行為としてとがむべきではないと思われる。そうだとすれば、被告人には少くとも本件意匠権を侵害する犯意はなかつたと認めざるを得ない。

五、結論

そうしてみると本件公訴事実は被告人の犯意の点についてその立証がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 沢田哲夫 中川臣朗 斎藤昭)

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